44.祟りの仕組み

たっくんが子どもの頃。「善い行い」と「悪い行い」があるとして、なんで神様って「悪い行い」をできるようしているんだろう?いじわるだな、って思ってた。でも、神は何も禁止なんかしてないんだね。

今日は「祟り」というものの仕組みについて解説しようと思います。

よく、「先祖に祟られるぞ~」とか、「神社でそんなことしたら罰(バチ)が当たるからやめな!」とか言いますよね。

ちなみに、祟りも罰も同じようなものなので、両方一括りにして今回ご説明しますね。

祟りは本当にあるのでしょうか?

皆様が想像もできないような極悪人って、実は、この世に沢山いるんですよ。

じゃあその極悪人は全員祟られて死んでいますでしょうか?

政治家を見てみてください。あくどい奴がいっぱいいますよね。でも、なんだかんだ、長生きではありませんか?老人になってまでまだ金に執着するような人がいますよね。

本当に、彼らは祟られているでしょうか?

祟りの定義としては、祟る側が神とか眷属とか、神聖な存在です。そういう存在に対して無礼を働くと祟りが起きます、ということ。

神聖な存在としては、「先祖」も含まれます。特に沖縄では神と先祖が混ざって祀られているくらいです。ほとんど同じようなものとして扱われていますね。

あと、一部の仏教では、人は死んだあと仏になる、と説いている宗派がありますので、大体、先祖も神も似たような存在だと思って構いません。

そういう神聖な存在をぞんざいに扱うと、祟りでしっぺ返しされるということ。

では、どうして祟りは、悪人には起きないのでしょうか?

「神様、祟るのであれば、オレなんかより、もっと悪人がいっぱいいるじゃん」って思いませんか?

例えばの話です。

みなさま。

高校時代なんかにやったことがあるのではないでしょうか?お金がない時に、どうしても遠くまで旅行したいというとき、無人駅から電車にシュっと乗り込んでしまう。私の周りでも、そういうことをする高校生が結構いました。

想像に任せます( ^ω^)・・・

そういう行為をした後に、何か悪いことが起きたとしましょう。例えば5,000円入った財布を落としてしまったとしよう。

「ああ、これって、都会に遊びに行くときに、キセルをした罰があたったんだ」って思いますよね。

これを、祟りとか、罰とか、因果応報とか言います。

でも、本当にそうでしょうか?

「キセルをしたから財布を落とした。」・・・どうして、これが意識の上で紐づいてしまっているのですか?

この紐づきが無い人が、祟りに合わない、つまり、悪いことの報いを受けない人です。

祟りや罰というのは、自分で作り出しています。だから、この構造を見切ってしまえば、悪い事し放題です(笑)

でも、悪い事し放題になったとしても、別のエネルギーである「徳」が使えなくなってしまうので、ぜんぜん、いいことはありません。

祟りや罰の大元は、自分の中の感情です。

例えば、神社に行ったとき、もよおしてきたのにトイレがない。物陰で用を足したとしましょう。

このことを自分で反省し、罪悪感を抱いていたとします。

「神社という聖域で、私はなんという罰当たりなことをしてしまったんだ。どうしよう・・・」と。

ここで、とても重い波動がでます。

この重い波動を何とか消したいわけです。

ヒーリングやレイキを流すことができない人はどうするのか?

「徳」というエネルギーは、いい現実に変換するときに消費します。

そして、「カルマ」というエネルギーは、わるい現象を起こすと消すことができます。

「私は裁かれなければならない」と思っていると、「おう。裁いてやるぞ」っていう現象が現実化する。「ああ、これでよかった。心が軽くなって良かった。フゥ・・・」って仕組みなんです。

だから、「ハトやカラスだって神社でフンをしているんだから、自分だって用を足すことくらい問題ないよね~。神様はそんなに心狭くないよ♪」って思っていれば、ネガティブな現象も起きません。

そもそも、考えてみてください。

いやしくも神として祀られている存在が、用を足したくらいで怒るなんてことがあるのでしょうか?

神に仕えている眷属であれば、そういう無礼に対して怒りのエネルギーをぶつけてきますが、エネルギーに鈍感な人は気付きません。

エネルギーで通じない場合は、近くの人間にとりついて、「こらー!こんなところで立小便してはならんぞ」と言わせることもあります。

ただ、基本的には、ネガティブな現象は、自分の中の罪悪感が引き起こしている現象です。

ではどうしたらいいのか?

祟りを食らわないためには、自分の心がクリアであればいいのです。

自分の心次第です☆

とても道徳的で人並な言い方なのですが、先祖や神、仏など祀られている存在に対して、自分が無礼だと感じることをしなければいいだけなんです。

Оリングができる人は、神社で聞いてみましょう。「ここで写真を撮っていいですか?」とか。

それでいいのです。

神も、古代人とか宇宙人とかの人間であることは変わりありませんので、人に対して失礼に当たることをしなければいいだけなんですよ。

そうすれば、罪悪感なんて湧いてこなくなります。

神は祟りません。罪悪感を消すために、自分の心がネガティブな現象を起こしているだけなのです。

これだけは覚えていてくださいね。

そうすれば、祟りだ、罰だといって、変に脅してくるような変な宗教団体やスピ系に引っかかることはありませんからね。

はい。では今日はここまでにしましょう。

どうもありがとうございました。