50.神社のルールについて
手の洗い方とかお辞儀の回数とか堅苦しいから、たっくんは神社が苦手だったけど、今回「神も人もコミュニケーションの基本は同じ」だと知って、ある神社にお参りしたら、人も払ってくれて、めっちゃ歓迎してもらえた(気がする)よ!
今回は、神社のお話をしましょう。
神社参拝のルールはいろいろあるのですが、
例えば「鳥居の真ん中は神様が通る道だから、人間は端っこを歩きなさい」とか、
「参拝する前に柄杓で手と口をすすいで」とか。
今は感染症でやっていない神社もありますが、色々なルールとかしきたりとか考え方があります。
それをどこまで知っている必要があのか?っていうところをちょっと解説していきたいと思います。
ちなみに私は、神社のルールについてほとんど忘れちゃいました・・・。
そう、実は、どうでもいいから、忘れちゃうんです(笑)
よく聞かれるのは「神社の社殿の写真を撮ってもいいのでしょうか?」ということなんだけど、神社に祀られている存在は、基本的に嫌がらないです。
だけど、その神社を管理している人間の方が止めてくれって言ってくるパターンがあります。
なぜかは分からないのですが、神を尊い存在だと思っているから気安く写真を撮ってはいけないと、人間側が勝手に思い込んでいるということ。
私としては、肉体に入っていようが入っていまいが同じなので、本人、つまり祀られている本体に伺ってみればいいことだと思っています。
神の名前が分からない場合は、「ここにいらっしゃる方」でいいんです。
Оリングで訊けばいいんです。
私は、これまで神社を参拝してきて、ダメだと言われたことは、100回やって、2回くらいです。
ごくたまに、「拒絶」の波動を出している神社があるんです。
「ここはうちの一族だけのものだ!」ってね。
そういうところはさすがにちょっと撮影は難しいかな。
神も、人間も、対応は同じだと思ってください。
あなたが電車に乗っているとき、知らない誰かからいきなり写真を撮られたら、ムッとしますよね。
神も基本は一緒。
みつをじゃないけど、人も神も同じ扱いをしていれば大丈夫ですよ(笑)
では次。お賽銭。
私はほとんど上げません。
なぜなら、相手はエネルギー体なので、お金は欲しくないのです。
お金を欲しがるのは、その神を祀っている人間たちです。
よく、浄財とか言って、お金を洗ったり、お金を神様に上げることで綺麗になるということを言う人がいますが、お金についている念などは一瞬で払えます。
自分がお賽銭を払いたかったら払う。払いたくなかったら払わない。
それが基本です。
私は、過剰に儲けていそうな神社には一円も払いません。
反対に、山奥の社殿で「こんな辺境で、こんなに丁寧に管理していただいているのか。」と思えば、玉串(たまぐし)料、つまり、額の大きいお賽銭を払うこともあります。
伊勢とか出雲みたいなところでお金を出すことはありません。
伊勢なんて、一万円だせば御垣内参拝(みかきうちさんぱい)とかできますけど、あれをやるよりはよっぽどいいところがあります。
詳しくは言いませんが・・・。
だから、ルールというのは、ほとんど管理する人間の側が作っています。
しかも、当時は意味があったかもしれないルールが、存在意義が忘れられてしまって、何のためにやっているか分からないものもいっぱいあります。
手水を止めて、消毒液を置いてある神社もある。
手を洗うって、どういう意味なのか分かっていない。
結局、神も人間と同じと思ってください。
その人(神)と気持ちよくコミュニケーションするためにはどうしたらいいか、ということ。
手を洗う目的は「禊(みそぎ)」です。
禊っていうのは、神様に参拝するときに、自分の体の雑音、穢れを水で払う。
自分の身についた重いものを削ぐ、だから「みそぎ」なのですが、そもそもは川などでみそぎを行っていました。
それを簡略化したのが、手と口をゆすぐ手水。
それこそアーシングとか塩で整えている人は、わざわざ神社で禊をしなくてもいいし、大切なのは、型よりも目的です。
「私、全然神社参拝のルールとか詳しくなくて・・・」って遠慮しちゃっている人も、何も気にしなくていいですよ。
逆に、ピラミッド社会の時代の神で、偉そうな奴もいます。
そういう偉そうな神のところには、行かない方がいいと思います。
どうしても基本はОリングで訊けばいいです。
例えば、拝殿とか賽銭箱の辺りは、凄い念が溜まっていることが多い。
おみくじのところとか、人の執着の念が集まっている。
私はすぐに裏に回っちゃうんだけど、裏に回る前にОリングで入っていいか聞ければそれでいい。
あちらさんが来てほしくない場合は、人間が来る。
人間が来て、そっちに行っちゃだめだよ、みたいなことを言ってくる。
代わりに人間をよこしてメッセージを送ってくることが多いです。
くる人間が嫌いなものを寄せておくことがある。
私の場合は人込みとか、ゲジゲジとかフナムシみたいな足がいっぱいある虫。
行こうと思ったら、蜘蛛の巣があって行けないとか。
そういう自分が嫌いなものが配置されていたり、今、タイミングじゃないな、っていうときは、神社が全然心地よくない。
テンションが下がってしまう感じになる。
私は、神社参拝ツアーの時、人込みがある神社は全然行く必要がない、とスルーします。
管理人の神職とのコミュニケーションじゃなく、本体の方に直接行った方が早いっってこと。
型よりも目的の方が大事だよ、っていうことです。
はい、では今日はここまでにしましょう。
失礼します。