33.お供えって意味あるの?
何でも「型」を守らせようとするのって、相手を支配したい人の発想だね。相手を想う心が大事なんだ。
今日は「お供えって意味あるの?」というご質問をいただきましたので、お答えいたしますね。
神棚に供えたり、お墓に食べ物を供えたりしますよね。最近はカラスが寄ってくるので食べ物を供えないように言われますが。
沖縄の神社で御嶽(うたき)というのがありますが、ここでも、野生動物に食べられてしまうので、供えないようにという注意書きをよく見ます。
ご質問をいただいた方は、「亡くなった方が好きだった食べ物をお供えすることができず残念だった」とのことです。
そもそも、霊も、高次元の神も、肉体を持っていません。
肉体を持たない存在に対して、3次元の物質、モノを供える行為に意味はあるのでしょうか?
結論から申し上げますと、とても意味があることです。ただ、必ず食べ物を供えなければならないというわけではありません。
これは、お供えに限らず、「型だけ守って、心を忘れる」というパターンは凄く多いんです。
神社のお祭りをやっている人でも、お祭りの意味を考えず、先祖代々やってきたからという理由だけで型だけ守っているということがあります。
言霊も同じです。言霊も、言葉そのものにも力がありますが、それにプラスして言葉を使う人が込めたエネルギーの合体版が言霊のパワーになります。
儀式も同じです。儀式の型をなぞることで、誰がやってもそこそこのパワーを発揮します。しかし、その儀式の意味が分かった人が行うことで、エネルギーの流れにぐらつきがなくなり、その儀式によって動かせるパワーがとても大きくなります。
だから、お供えもその意義を分かったうえで行うことで、より高次元の存在に届きやすくなりますよ。
高次元の存在は、エネルギーをご飯としています。
私は神社に行ったりすると、いたるところで神に投げキッスをしてラブを送っています。
お供え物という物体が無くても、ラブを送ることができれば全く問題ありません。
高次元の存在はエネルギー体です。つまり、時間や空間に囚われません。イメージしたら一瞬でつながるし、距離も関係ないので、地球の裏側からだろうがどこからでも飛んできてアクセスすることができます。
ならば、私たちが物理的に墓まで行って、お供えをする必要性はあるのでしょうか?
私たちが発することができるエネルギーは、思いの強さに比例します。
亡くなったにお供えをするときに「ああ。天野さんは昔からカステラの切れ端が大好きだったなあ。」などと偲びながらカステラを供えると、そのカステラが媒体となって、強い思いを出すことができるのです。
頭の中でイメージするのではなく、目の前にカステラがある方が、よりありありと故人への思いを感じることができますよね。
高次元の存在は、まずは供えられたカステラの波動をキャッチします。「ああ、これ好きだったやつ♪」と。それプラス、供えてくれた人の思いを受け取る。「天野さんと一緒に食べたカステラ。美味しかった。幸せだったな~☆」と。ダブルでエネルギーを受け取るのです。そりゃあ、うれしくなりますよね。
ちなみに、私たちが高次元の存在に送るラブのエネルギーは、RPGゲームの「経験値」に相当します。ラブのエネルギーが溜まると、彼らもレベルアップします。そしてどんどん強くなって、私たちをサポートしてくれる力も強くなりますし、霊界における彼ら自身の影響力も高まるんですよ。だから、お供えをして悪いことなんて一つもありません。
私も、長崎のこの家の裏の墓場にいる「クッスー」とか「たさきさん」を呼んでお酒を飲むことがありますよ。私の肉体に彼らを宿して一緒に飲む。私自身はお酒が嫌いですが、お二人は喜んでくださっています。
ただ、「たさきさん」は焼酎がお好きなんですよ。焼酎って、お酒嫌いの私からすると、キツくて飲みづらいんです。肉体が拒絶するのでめったに飲みませんが、その場合は私の肉体を通さず、お供えだけして、飲み食いをともにします。一緒にその場を楽しむ、というエネルギーをあげています。
結論としては、故人への思いを発するだけで充分です。
お墓参りに行く時間がないのであれば、いかなくてもぜんぜん問題ありません。というか、高次元の存在が「墓」に「いる」ということはありません。私たち側が墓にいくことで強く故人を思い出せるので、呼び出せて、つながる、という仕組みです。無理して行く
変な霊能者は脅してきますよね。「ご先祖様は、墓が荒れて悲しんでいますよ」なんて言って。いやいやいやいや。そんなことは全然ありません。そんなことを言い出したら、お墓そのものが無い人がどれだけいると思いますか?レムリア時代のお墓、みたことありますでしょうか?(笑)
エネルギー体は、こちらが思いをはせればパワーアップします。忘れると消えてしまいます。ラブを送ることができる人は、送ってあげてください。その人が好きそうな食べ物を供えてあげてください。それで喜ぶのは、神も人もまったく同じです。
とにかく相手を喜ばせたいという気持ちが大事です。お供えの型は二の次。人間も神も肉体のあるなしだけで基本は全く同じなんですよ。
はい、では今日はここまで。
どうもありがとうございました。